
ピンポン球を打つ野球。
ピン球野球と呼んでいました。
親戚の家で、雨の日に4~6人くらいで
室内野球をしていました。
付属のバットだと、飛びすぎるので、
新聞を丸めてしていました。
ピンポン球といっても、人間がはしゃぎすぎると、
ガラスを割ったり、障子を破いたりというアクシデントはつきものです。
何事もほどほどにしないと怒られるということを学びました。
PEPOTAのブログ

ピンポン球を打つ野球。
ピン球野球と呼んでいました。
親戚の家で、雨の日に4~6人くらいで
室内野球をしていました。
付属のバットだと、飛びすぎるので、
新聞を丸めてしていました。
ピンポン球といっても、人間がはしゃぎすぎると、
ガラスを割ったり、障子を破いたりというアクシデントはつきものです。
何事もほどほどにしないと怒られるということを学びました。

人生ではじめて触れたプログラミング。
これに触れなかったら、今の人生は無かったかもしれません。
ゲームを自分で作れると言うことに驚愕しました。
とはいっても、おもしろいロジックを自分で考えられるほどの頭脳はなく、
基本的に、本を写して、ゲームをしていました。
でも、そのゲームを改造して、
遊びやすくしたり、ルールを変えたりしていました。
プログラミングをいう素晴らしい世界があることを学びました。

学校で堂々と読めるマンガ。
学研の○○のひみつシリーズです。
図書室に行っても、
文字ばかりの本はイヤで、
こればかり読んでいました。
マンガだと、スッと情報が入ってきます。
エジソンなど、発明系の話のドキドキしたことを覚えています。
真面目な本だけではなく、
マンガからも学べることがたくさんあると言うことを
学びました。

いまでは、当たり前のこの形。
ゲイラカイト。
この形が出るまでは、真四角の、
昔ながらのタコをあげていました。
昔ながらのタコは、あげるのが難しく、
走っては落ち、走っては落ちでした。
しかし、ゲイラカイトがでてからは、
だれでも簡単にあげられるようになりました。
でも、友達の中では、
「あれは、邪道。凧揚げが下手なやつが使う。」
という認識でした。
新しい技術が出ると、人は簡単に受け入れられない
ということを学びました。




当時、自転車は、変速機付きが流行しました。
そして、それが更に進化して、
ウインカーやブレーキランプが付きました。
小学生が乗る高性能な自転車は、
当時の価格で、5万円~10万円くらいしました。
少数のお金持ちの子は、
買って貰って自慢していました。
お金持ちは、ねたまれて、
仲間はずれにされるんだなということを学びました。
でも、欲しかったなー